現、空言、物語。

うつつ、そらこと、ものかたり。

夢夜の様々


 深夜に突然やってくるハイテンション。
 
 今ならなんでも出来るんじゃないのか?
 今なら成功するのでは?
 今なら凄いものが作れる気がする!
 今、すぐ、やりたい!
 
 どうして夜なんだろう。さすがに無理だよ、今じゃないよ。と思って結局なにもしないのは、私が怠け者だからなのか。やらないことをできない言い訳でごまかしているような気がしてくる。でも、物理的に無理なことも多いから理性とも言える。
 
 なにも爲せなかったと落ち込む夜がある。
 
 瞼を閉じていつかの未来を妄想していると、やがて走馬灯代わりの写真パネルが飾られたブラックホールに吸い込まれ、思い出の少なさに戻れない時間の絶望を味わう羽目になる。ネガティブな妄想力の逞しさを他に活かせたらいいのにと思うけれど、なかなかどうして難しい。
 
 私は夜が好きだ。
 
 群青の空、星の煌めき、澄んだ空気、冷めた風、虫の声、月明かり。特に、秋の夜中は乾いた冷感の風に金木犀の匂いがして、物悲しいのに少しだけ幸せな気持ちになる。東の空にオリオン座を見つけたら、私はまだ大丈夫だ、なんて思ったりする。
 
 明けないでほしい夜がある。
 
 意味のあることをしているわけじゃない。好きな漢字の画数を数えたり、気になる数字を加減乗除したり、好きな音楽を聴きながら脳内で映像化してみたり、心地好い声の動画を観るでもなく聞き流したり、読んだ本の好きな場面を思い出したり。
 
 答えのない謎の中を、果てなくただ揺蕩う夜がある。
 
 想像空間に思い浮かべた白い光の正二十面体がなんとか形になって、不規則な回転を始める。揺らぎを表す緑の方眼の光が波打ち、仮想現実や多次元とはなにかを考える。開いた正二十面体から溢れ出す黄色の光の粒が広げるフラクタルの不思議に放たれ、電気信号を青い光として発する宇宙と脳細胞について思案してみたりする。
 
 理論的に説明出来るほどの知能は持ち合わせていない。これらを解いて現すために使う学問が数学なのか科学なのか物理なのかさえわからない。全ては私の想像と感覚で、言語化に挑戦してみようと試みるけれど、するすると流れる映像に言葉が追いつかなくて、耳の奥に熱がこもる。
 
 やがて、世界と身体との境界が夜に溶けて、頭の中だけが存在するような感覚に包まれる。
 
 世界は動いてしまうのに、私の時間だけが膜を帯びて止まっているような、シャボン珠の中に浮かんで未来に移動しているような、止まっているのに止まらない時間の流れを体感する。明けてしまうのが勿体なくて、けれど心地好い空想に更ける頭の片隅が白んでゆく空に現実を認め、完全に溺れられないから、もどかしい。
 
 そんな夜がある。それは凄く幸せな時間なのでは、と思う。
 
 なにを産み出すでもなく、ぼんやりと私の中だけの時間が流れて、感覚の過去と未来を繋げて、いつかのなにかを爲すための卵になる時間。可能性の無限。思い出の写真パネルには飾られない、なんなら言語化する必要のない、ちゃんと明けてしまう夜がある。
 
 未練がましく、ずっと変わらない永遠に続くなにかを求める夜がある。
 
 初めて抱いた将来の夢はお姫さまだった。大好きなシンデレラの絵本の影響だった。職業という概念を持っていなかったから、お花やさんやケーキやさんと同じように、なれる存在、だと思っていた。
 
 妖精に会いたいと思っていた。蝶々の羽を持ち、シフォンのドレスを着て花に座る妖精は、森の奥にある泉の近くのお花畑に暮らしていると信じていた。なんの影響を受けたのかは憶えていない。
 
 魔法使いに憧れていた。変身したかった。テレパシーが欲しかった。空を飛びたかった。動物や草花、樹木と会話したかった。フードのついたワンピースを着て雲に乗り、流れ星を流したかった。
 
 サンタクロースもカッパもツチノコ口裂け女も魔法使いも宇宙人も存在すると思っていた。心や頭の中のどこかでは、今でもその存在を信じている。
 
 私は特別を持っていない。なにか、小さくてもなにかは持っていると思ってきたけれど、そんなことはなかった。
 
 それでも、夜になるとまだ、夢を見てしまう。
 
 あ、きた。と感じて空を見上げると、長めの流れ星を観られることがある。何の気なしに目線を上げると流れ星を観る。観たいと願っても観ることはできないのに。
 
 そんな風に生きてきた。自分の感覚を頼りに、ちゃんと信じて生きてきた。ずっとそれだけで生きていけたらいいのにと願う夜がある。
 
 これから夜が始まる。まだ、眠らない。今夜はどんな夢を描こうか。