現、空言、物語。

うつつ、そらこと、ものかたり。

たとえば、もしもの物語

 
 世界中の生き物全てが眠る瞬間が訪れたら、どんな凄いことが起こるんだろう。
 
 水槽の中でしか生きられない手のひらサイズの動物が誕生するとき、最初に生まれるのはどの動物なんだろう。私はキリンが欲しい。
 
 鏡の世界があるとして、物質、概念、文字、どこまでが反転しているんだろう。
 
 深海魚体験ならエラ呼吸と暗闇を見る視界、渡り鳥体験なら羽ばたき時の筋肉や関節の動きと飛んでる間の足の状態、動くときの水や空気の抵抗感とか疲れとか、仲間との意思疎通とか、そんな感覚を体験したい。
 
 風に乗っていられたら、そのまま何処まで飛んでゆけるのだろう。
 
 雲に乗る方法、箒で飛ぶ方法、水面を歩く方法。本当にないのかな。
 
 宙の丘に行けるなら、月夜に聳える鬼燈山の麓がいい。魔法使いに逢いたいから。濃藍色の蜂鳥に導かれ、君失紫が囲み咲く墓石に刻まれた呪文の言葉を憶え、方位磁石と繁り音に惑わされながら紅鸞の森を彷徨い、ようやく見つけた七つ星の印された岩戸を呪文で開き、中に捕らわれていた雄鹿に乗って山を登り、朝陽を背負う逆光の人影に迎えられたい。
 
 総ての感動を文章化できたら、私の世界のなにかが変わるだろうか。
 
 屋上に寝そべって様々な効果音をランダムに流しながら流星群を観て、流れ星と効果音がバッチリ嵌まったなら、同じ瞬間に世界の何処かで起こった小さな奇跡を集めて短篇集を創りたい。
 
 願いが叶う懐中時計を見つけたら、パラレルワールドの私を集めて座談会をしよう。
 
 何処かにあるらしい仙女の泉に繋がる地下道入り口の鑰となる砂時計を託されたら、最初はこまめにひっくり返すけれど、慣れてきた頃に寝坊とか帰宅が遅くなってとかで砂が降りきってしまっているのを見て落ち込むんだろう。とりあえずひっくり返そうと思うけれど、開いた入り口を見つけて行ってしまった人がいたら? 閉じてしまうと此方側に戻ってこられないかもしれない。でも、開けたままも危険だから誰も見つけていないことを祈りながらひっくり返して、次の誰かに託すことになるんだろう。
 
 右利きの人と左利きの人が入れ替わったとき、利き手は中身と身体のどっちが優先されるのか。言語は? 能力は?
 
 通学中、毎朝同じ電車の違う車両に乗っていたけれど最寄り駅が違うからお互いに存在を知らない二人が、数年後に異国の交差点ですれ違い、その後、二度と顔を合わせることはない。そんな本人たちさえ知らない一期一会の瞬間を集めた写真展で、思う存分妄想してみたい。
 
 家の中にひとつだけ、世界中の何処か希望の場所にワープできる扉をつけられるとしたら、何処に繋がると嬉しいだろう。
 
 

夢夜の様々


 深夜に突然やってくるハイテンション。
 
 今ならなんでも出来るんじゃないのか?
 今なら成功するのでは?
 今なら凄いものが作れる気がする!
 今、すぐ、やりたい!
 
 どうして夜なんだろう。さすがに無理だよ、今じゃないよ。と思って結局なにもしないのは、私が怠け者だからなのか。やらないことをできない言い訳でごまかしているような気がしてくる。でも、物理的に無理なことも多いから理性とも言える。
 
 なにも爲せなかったと落ち込む夜がある。
 
 瞼を閉じていつかの未来を妄想していると、やがて走馬灯代わりの写真パネルが飾られたブラックホールに吸い込まれ、思い出の少なさに戻れない時間の絶望を味わう羽目になる。ネガティブな妄想力の逞しさを他に活かせたらいいのにと思うけれど、なかなかどうして難しい。
 
 私は夜が好きだ。
 
 群青の空、星の煌めき、澄んだ空気、冷めた風、虫の声、月明かり。特に、秋の夜中は乾いた冷感の風に金木犀の匂いがして、物悲しいのに少しだけ幸せな気持ちになる。東の空にオリオン座を見つけたら、私はまだ大丈夫だ、なんて思ったりする。
 
 明けないでほしい夜がある。
 
 意味のあることをしているわけじゃない。好きな漢字の画数を数えたり、気になる数字を加減乗除したり、好きな音楽を聴きながら脳内で映像化してみたり、心地好い声の動画を観るでもなく聞き流したり、読んだ本の好きな場面を思い出したり。
 
 答えのない謎の中を、果てなくただ揺蕩う夜がある。
 
 想像空間に思い浮かべた白い光の正二十面体がなんとか形になって、不規則な回転を始める。揺らぎを表す緑の方眼の光が波打ち、仮想現実や多次元とはなにかを考える。開いた正二十面体から溢れ出す黄色の光の粒が広げるフラクタルの不思議に放たれ、電気信号を青い光として発する宇宙と脳細胞について思案してみたりする。
 
 理論的に説明出来るほどの知能は持ち合わせていない。これらを解いて現すために使う学問が数学なのか科学なのか物理なのかさえわからない。全ては私の想像と感覚で、言語化に挑戦してみようと試みるけれど、するすると流れる映像に言葉が追いつかなくて、耳の奥に熱がこもる。
 
 やがて、世界と身体との境界が夜に溶けて、頭の中だけが存在するような感覚に包まれる。
 
 世界は動いてしまうのに、私の時間だけが膜を帯びて止まっているような、シャボン珠の中に浮かんで未来に移動しているような、止まっているのに止まらない時間の流れを体感する。明けてしまうのが勿体なくて、けれど心地好い空想に更ける頭の片隅が白んでゆく空に現実を認め、完全に溺れられないから、もどかしい。
 
 そんな夜がある。それは凄く幸せな時間なのでは、と思う。
 
 なにを産み出すでもなく、ぼんやりと私の中だけの時間が流れて、感覚の過去と未来を繋げて、いつかのなにかを爲すための卵になる時間。可能性の無限。思い出の写真パネルには飾られない、なんなら言語化する必要のない、ちゃんと明けてしまう夜がある。
 
 未練がましく、ずっと変わらない永遠に続くなにかを求める夜がある。
 
 初めて抱いた将来の夢はお姫さまだった。大好きなシンデレラの絵本の影響だった。職業という概念を持っていなかったから、お花やさんやケーキやさんと同じように、なれる存在、だと思っていた。
 
 妖精に会いたいと思っていた。蝶々の羽を持ち、シフォンのドレスを着て花に座る妖精は、森の奥にある泉の近くのお花畑に暮らしていると信じていた。なんの影響を受けたのかは憶えていない。
 
 魔法使いに憧れていた。変身したかった。テレパシーが欲しかった。空を飛びたかった。動物や草花、樹木と会話したかった。フードのついたワンピースを着て雲に乗り、流れ星を流したかった。
 
 サンタクロースもカッパもツチノコ口裂け女も魔法使いも宇宙人も存在すると思っていた。心や頭の中のどこかでは、今でもその存在を信じている。
 
 私は特別を持っていない。なにか、小さくてもなにかは持っていると思ってきたけれど、そんなことはなかった。
 
 それでも、夜になるとまだ、夢を見てしまう。
 
 あ、きた。と感じて空を見上げると、長めの流れ星を観られることがある。何の気なしに目線を上げると流れ星を観る。観たいと願っても観ることはできないのに。
 
 そんな風に生きてきた。自分の感覚を頼りに、ちゃんと信じて生きてきた。ずっとそれだけで生きていけたらいいのにと願う夜がある。
 
 これから夜が始まる。まだ、眠らない。今夜はどんな夢を描こうか。
 
 
 
 

語感と字感


 語感が心地好い言葉を集める。
 
 かきつばた、杜若、カキツバタ。文字だとしっくりこないのに音だと心地好く響く。
 
 スピカ、Spica。素晴らしい。声に出して言いたくなるし、書いても読んでも可愛らしい。
 
 ステラ、アクア、クレマチスビードロミスリルシルマリル、アンツ、ビクーニャ、イルカルラ、ラピスラズリ、ミスランディアタルトタタン。思いつくままに心地好い音を探す。
 
 ジュピターよりユピテル。ビーナスよりヴィーナス、ウェヌスも捨てがたい。イズン、ノルン、トート、ルーナ、スコル、ハティ、フギン、ムニン、フェンリル、イナンナ、ラタトスク、エンリル、アルウェン、ロキ、エッダ、ドゥネイル、ガンダルフ、エルロンド、ネフェルティティ。
 
 ティール、テュール、エゼキエル、アリス、ニノール、アルチュール、マチルド、カトレア、アウリッキ。ミステアル、ミスタアル、マルゴワール、シルヴァン、デュボワ、ガウディ、ニーニマー。
 
 ミナス・ティリス。ゴンドール。カッパドキア。ファティマ。ミーミル。リーテ・ラトバリタ・ウルス・アリアロス・バル・ネトリール。コギト・エルゴ・スム。何故だか言いたくなる言葉。墾田永年私財法、東海道中膝栗毛
 
 ユタ。トゥオネラ。アイヌリンダレ。レムミラス。プレアデス。ガラドリエル。イルマタル。ダイダラボッチ。コロボックル。キジムナー。ニライカナイ
 
 月読命瀬織津姫。菊理媛尊。狛犬盟神探湯鞍馬山。管狐、魑魅魍魎、伽藍堂。命魄、想魂、言霊、キミナシ、刻砂、時沙、水鏡。
 
 雨だま、色だま、嘘だま、声だま、音だま。ゲシュタルト崩壊
 
 ソーダ水、ガラス珠、オペラ座、ピンク色。語感が滑らかなカタカナと漢字の組み合わせは文字で輝く気がする。ハピネス三茶、重力ピエロ、夫婦サファリ。
 
 コーヒーはカフェ。カフェオレとカフェラテはどっちにしよう、カプチーノ、クイニーアマン、クレームブリュレ。珈琲は喫茶店、トースト、ナポリタン、パンケーキ。クリーム、クリィム、くりいむ。
 
 ラブレターより恋文。ティアラより髪飾り。妖怪は、あやかし、もののけ式神、猫又、荒御霊。八雲、土蜘蛛、付喪神。天邪鬼。百鬼夜行
 
 カミツレハコベラキンモクセイ。アカシア、スズラン、ハクモクレン彼岸花曼珠沙華リコリスはどれも善き。
 
 殊更、然りとて、須く。さすれば、さすらば、さもありなん。ありんす、しなんし、くんなまし。ときに、ひねもす、よもすがら。終夜、終宵、夜終。
 
 とこしえ、と、いにしえ。永、古。
 
 緒―いとぐち、某―それがし、紅―くれない、雷―いかづち、暁―あかつき、巫―かんなぎ、篁―たかむら、兵―つわもの。漢字一字で読み四音、なんかいい。途端に和風の美しさ。
 
 魑―すだま、運命―さだめ、金色―こんじき、現―うつつ、水面―みなも、銀―しろがね、明後日―みょうごにち、剣―つるぎ、誘―いざな、一片―ひとひら、炎―ほむら、暦―こよみ、緣―えにし、永遠―とわ、何処―いずこ。敢えて、の空気感。雰囲気って大切。四阿、鴉、龍、陽射し。
 
 輪廻、鬼灯、梔子、常磐、時雨、泡沫、如月、神楽、刹那、黄昏、黄泉、椿、夕星、瑠璃色、水蜜桃、不知火、灯火、狐火、篝火、東雲、徒然、万華鏡。語感と字感で生まれる存在感。
 
 言の葉、木漏れ陽、宵の口、揺蕩う、髪結い、糸紡ぎ、出づる、流るる、彷徨いて、燃ゆる、遍く、天つ風。帳、まやかし、惑わし、眩む、戸隠、葉隠れ、九十九折り。丑の刻、彼は誰時、逢魔が時
 
 揺らぎ、移ろい、ゆるゆると、するり、するする、露、伝う、のたり、つらつら、語らいて、綴らば、映ゆる、白木蓮。なんだか楽しくなってきた。
 
 くゆり、まやかし、嘯いて、縺れ、ほつれる、つむじ風、まだら、勾玉、連なりて、熱り、くらくら、迸る。くらり、キラキラ、カンパネラ、とぼり、とつとつ、アンダンテ。
 
 カバラポラリストネリコ、ルーラ。
 ひらりひらいて、御伽箱。
 
 ひ、ふ、み、よ、い、む、な、や、この、たり。ふるべ、ゆらゆら。ふるべ、ゆらゆら。

 

月に蝶々


 
 ──君と私は運命だった。
 
 十九歳の夏、あの木陰で、段ボールに隣り合って座ったあの日、白い四日月と黒い蝶が重なったあの瞬間に、総てが決まったんだと私は思っている。
 きっと君は信じない。呆れたように笑って、そして、なんて言うだろう。カイロスの悪戯? クロノスの瞬き? もう私にはわからない。
 
 どの占いを見ても、君と私の誕生日の相性は最悪だった。だから、とは思っていないけれど、十一回の誕生日を一緒に過ごしたことはなかった。
 今日は偶然にも真ん中バースデーの日だよ、と私が言えば、反対から数えたら違う日になる、なんて皮肉めいたことを言う。あのとき、私は君になんて返したんだっけ。偶然と必然の話題になったのは別の日だったのかな。
 
 もう、ちゃんと思い出せなくなってしまったんだよ。
 
 並んで見つけた虹も、流れ星も。汐風、金木犀、夕立の匂いも。雪の日に耳を塞ぐ手の温もり、いろんな種類の雨音、廻る季節の繁り音。
 流れゆく雲を見上げて始まった小さな想像が、いつしか壮大な物語へと膨らんでしまった、空の青さ、夕陽の輝き、宵の藍色。
 花散る中で吐いた嘘、土星の環の消失、色違いを見つけた朝。
 ちゃんと憶えているけれど、順番はもうわからない。
 
 君はいつも月を見ていた。私がいつも月を探しているからだと、君は言っていた。北斗七星とオリオン座しかわからない私に、おうし座だけはわかると探し方を教えてくれた。
 私の知らない君の隣で夜空を見上げ、いくつもの曲で歌われたであろう、おうし座を教えた彼女が羨ましいと思った。
 
 今夜、おうし座の真ん中で月が満ちてゆく。世界の何処かで今日もまた、月下美人が花開く。
 
 砂時計はクロノスだと、君が言う。最後にひとつまみ、カイロスが砂を混ぜて完成させているのだと、私は思う。
 ノルニルが文字を使って運命を決め、モイライやパルカエが糸を使って寿命を決める。フォルトゥナが幸運の環を廻し、ホーラーが日々を豊かに彩る。
 いくつを君と話したんだっけ。もう忘れてしまった。
 
 世界の物語を知らずとも感じて歌う君の言葉は、ずっと残ってゆくから、いつまでも誰かの心に寄り添い続けると思うんだ。
 今、私がその証なんだよ。
  
 私の心に初めて宿った感情を表す言葉は、まだこの世に存在しないから、いつも歯痒くて、もどかしくて仕方がなかった。
 たぶんよく似た言葉を誰もが伝えあっていたけれど、どうにも嘘を吐いている感覚になって、なんだかしっくりこないし、だから一度も、私は君に言えなかった。あんなに何度も歌ってきたのに、君にだけ、言わなかった。
 
 もしも伝えていたならば、なにかが変わったんだろうか。
 すれ違いと、迷いと、困惑。意地を張り強がって、ぎこちなくて、歪んでいて、独りよがり。君も、私も、面倒なところは本当によく似ていたから。
 君の前で泣けたあの日のように素直でいられたら、限りある時間をもう少しだけ大切に過ごしていたら。
 運命が少しだけ揺らいだのかな。なんて、たまにそんなことを考えてしまうんだよ。
  
 最後に会ったとき、君が願った言葉の魔法は、今でも変わらずに私の心を灯している。もしかすると呪縛だったのかもしれない。
 私たちは初めて、その感情を言葉で交わした。約束をした。そして、大切を失った。
 
 君はこの世を去った。
 
 君と同じ歳になった。
 
 君より歳上になった。
 
 突然だったから、君が居なくなったということを認識するだけでも時間が必要だった。君もきっと、自分に起こったことを認めるのに時間がかかったんだよね。
 君が残した絶望から救ってくれたのは、君が残してくれた希望だった。
 切れた弦を交換して、奏で、歌ったのは、君が最初に教えてくれたあの曲だった。涙は止まらなかったけれど、最後までちゃんと歌えた。少しだけ誇らしかった。少しだけ救われた。
 
 生きようと思った。歌おうと思った。
 
 もう、ギターも持てなくなったんだ。歌も歌えなくなった。クイニーアマンもチョコレートも食べられなくなったし、カフェラテも飲めなくなった。
 唯一、残った片耳で、君の歌声だけを聴き続けてきたよ。
 
 今日、私も眠るよ。
 あのパーカーを着て、赤と黄色の花が咲くあの場所を夢見て、月が満ちるその時に。天鬼燈を灯すこの夜に。
 
 君はきっと河の畔まで迎えに来てくれるから、君の漕ぐ舟で一緒に、誕生日をお祝いしよう。今度は私がギターを弾くから、ふたつのバースデーソングを一緒に歌おう。
 
 揺らぐ月に蝶の影が重なれば、もう、それでいい。